美濃焼は、岐阜県の東濃地方(土岐市、多治見市、瑞浪市、可児市)の一部で作られている陶磁器のことです。長い歴史と伝統を持つ伝統工芸品であり、皿や急須、茶碗や湯呑など作品は多岐に渡ります。全国の食器類の生産量のうち60%を美濃焼が占め、中でも土岐市は陶磁器生産量で日本一を誇っています。美濃焼の魅力はその自由さにあります。特徴がないのが特徴と言われるほど、決まりがなく、その時代ごとの流行を取り入れることが出来る自由な作風は長年人々を魅了してきました。焼物ならではの暖かさを残しつつ、モダンな色や模様を取り入れることで、食卓に置いても浮くことなくおしゃれに彩りを与えてくれる、置物としても遜色ない、美濃焼には素晴らしい魅力があります。

美濃焼の歴史

美濃焼には1300年もの歴史があります。古墳時代後期から奈良時代にかけて、須恵器と呼ばれる陶質土器から発展したと言われています。平安時代には灰釉陶器と呼ばれるものが作られました。釉薬をかけた焼物で、初期には貴族や皇族のみに流通する高級品でしたが、時代とともに徐々に全国に流通しました。鎌倉時代から室町時代にかけては釉薬を施さない山茶碗が焼かれました。これは庶民向けの食器として使われ、調理器具としても活躍していた可能性があります。そして戦国時代には大窯が開発され、鉄分を含む鉄釉を施された天目茶碗や前面に釉薬が施された皿類などが流通し始めます。 茶道が盛んだった安土桃山時代には、武将や町衆を中心に茶道の道具として焼物が流通しました。瀬戸黒、黄瀬戸、志野はこの頃に焼かれた作品です。江戸時代初期には連房式登窯というものが新たに導入され、武将たちの茶道具が焼かれていました。江戸時代中期になると連房式登窯のおかげで茶道具の他に日用品の食器を大量に生産できるようになりました。すり鉢やとっくりなど便利なものが多く流通しました。江戸時代後期には陶器よりも硬い磁器が登場します。美濃では粘土に石を混ぜた材料で染付磁器が作られました。明治時代になると、同じ絵柄の製品を大量に作るようになります。優れた陶工たちの作品が外国から評価され始めたのもこの時期です。この頃から美濃焼の輸出が始まりました。 そして戦後から現代にかけては、技術の近代化や生産業者の拡張によって大量生産を可能にし、陶磁器生産量が全国No1を誇るまでに至りました。また、美濃では現在でも多くの陶芸作家たちが活躍しています。

美濃焼で食卓に彩り

先述した通り、美濃焼は特徴がないのが特徴と言われるほど、作風は自由で決まりごとがありません。美濃焼として伝統工芸品に指定されているものは15種あります。釉薬の違いや、色合い、質感などに違いがあります。これらを手に入れるのは少し難しいかもしれません。しかし伝統工芸品ではないけれど、美濃焼は容易に手にすることができます。量産品ではあれど、茶碗や湯呑、皿などモダンなカラーのものや昔ながらの質感のものなど様々です。美濃焼は普段の食卓やティータイムを暖かく彩ってくれるでしょう。

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